コロナウイルの影響により3月1日〜14日までの主日のミサが中止となっておりましたが
引き続き3月15日(日)の主日ミサも中止となりました。
これに伴い3月15日から開催予定だった黙想会も中止となっております。
了承並びに周知願います。
主任司祭の岩崎神父様より今回の件についてのメッセージをいただきました。
以下、メッセージを掲載しますのでご一読いただければ幸いです。
「諫早小教区信徒の皆様へ」
信徒の皆さんお元気でしょうか。
新型コロナウィルス蔓延の為に教会の主日のミサが中止となり約2週間となります。皆さんにおかれましては、生活の制限による不自由さ、物不足の為の不便さやウイルスへの恐れなど不安な日々を過ごしておられるのではないかと案じております。どうぞ、心身ともに注意をなさってお過ごしください。
今日は四旬節を過ごされております皆様へ少しだけお話を、と思いホームページにわたくし初めて登場させていただきました。今回はあるメッセージと共にお話をしたいのです。
現在イタリアでも今回のウィルスにより多くの感染者や死者が出ており、日本以上の厳戒態勢を敷いております。学校機関もすべて閉鎖となっておりますが、こんな中、ある高校の校長先生が学校に来ることのできない生徒たちに対してメッセージを送りました。まず紹介いたします。
「学校は休校となりましたが、お話したいことがあります。
当局の慎重な判断を尊重しますが、皆さんには冷静に、集団の妄想にとらわれることなく、必要な予防をしたうえで『いつもの生活を送って下さい』と言いたいです。
こんな時だからこそ、散歩をしたり、良い本を読んだりしてください。元気であれば、家に閉じこもる必要はありません。スーパーや薬局に駆け込むのはやめましょう。マスクは病気の人が主に必要なので、彼らに譲りましょう。
病気が急速に世界に広がるのは、わたしたちの時代が残した結果で、何世紀も前には速度は少しだけ遅かったですが、同じように広がりました。それを止めることができる壁は存在しません。
このような出来事での最大のリスクの一つは、社会生活や人間関係に『毒を盛ること』と
市民生活を野蛮にすることです。外国人への恐怖、権力同士の争い、感染源のヒステリックな捜索、専門家への軽蔑、デマ、ばかげた治療法、必需品の盗難、医療機関の緊急事態・・・目に見えない敵によって脅かされていると感じる時には、同じ人間同士なのに他人を脅威や潜在的な侵略者のように見たりする危険があるというのが、先祖から受け継いだ本能です。
14世紀と17世紀の伝染病の時と比べ、私たちには近代的な医学があり、進歩し、正確になりました。私たちは、社会組織と人間性という貴重な財産を守るべく、合理的な考えを持つようにしましょう。もしそうでなければ、伝染病が本当に勝ってしまうかもしれません。
では、早いうちにまた学校で。待っています。」
教会は四旬節を迎えています。イベントやさまざまな集会が中止や延期となっている中、四旬節という季節は中止も延期もなく、私たちはこの時を過ごしておるところです。イエス様が40日の荒れ野において誘惑や試練を受けられたように、今世界中が荒れ野を経験し、そこに潜む試練と誘惑に対峙しています。この校長先生のメッセーは、今年の四旬節を生きる私たちに1つの示唆を与えてくれるように感じております。ウィルス蔓延は重い問題です。早い収束を願います。しかしこのことに伴う『毒』が私たちを侵し、重大な後遺症を残すことになれば、こちらの収束のほうが長引くかもしれません。
この恐怖と不自由な荒れ野を通った後は、世界が復活の喜びの時を迎えることを信じて祈り、また自分たちの心の中を福音の光で照らしながら見つめ続けていきたいと思います。
では、皆さん早いうちに教会で。待っております。
諫早教会 岩崎晋吾
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